『BLEACH』でMANGA原作にない話を挿まれて台無しだと思いませんか
質問
『BLEACH』についてですが、ANIMEオリジナルの話が原作準拠の話に影響し続けていることをどう思いますか。長く続いたオリジナル話はとうに終わった後でさえ、いろいろと尾を引いていました。じゃまっけで、そのうえ物語上なんの必要もないことさえあるレギュラー・キャラがANIME版では足を引っ張ることがあって、原作にはない「バウント篇」がずっと絡んでくるうえに、実際には互いに会ったことはないはずなのにまるで面識があるかのように振舞うキャラ達でいっぱいです。こうしたオリジナル・ストーリー篇を大半の視聴者はむしろ忘れたがっているというのに、もし削ったらそこだけ目立ってしまうほどです。
『NARUTO』のオリジナル話は、原作本来の流れを変えてしまうことがないよう慎重に作られていました。原作第二部にあたる「疾風伝」への突入前はANIMEオリジナルの話だったのですが、後の展開に響くことがほとんどないように作られていて、『NARUTO』ファンにはほぼ満足のいく出来でした。『BLEACH』にも同じことをファンは強く期待していたと思うのですが。
回答
最初に断っておきますが、『BLEACH』の最初の12話までしか自分は目を通したことがありません。もっと思うままにANIMEが観られるようになりたいと思っていますが、作品の数が多すぎるし、観たい作品すべてに目を通すには時間が圧倒的に足りません。
なので、『BLEACH』のオリジナル話の是非について具体的に私から論ずることはできませんが、この手の物語引き伸ばし手法(filler=補完、穴埋め - 訳注)について概論めいたことなら語れます。
ANIMEファンを名乗る人間はANIMEには真剣でとても一生懸命であるという指摘は私にとっては今更な話ではあります。原作MANGAの読者がANIMEのほうに目を通して、原作に忠実でないと文句を言いたくなる気持ちは十分理解できます。ANIMEを観た後に知らず知らず、というかどうしても原作MANGAと比べてしまっては同じような気分になることがあります。
しかし、ANIMEのほうが原作とまったく同じにはならなくてもそれは当たり前だと理性的に受け止めるべきです。ANIME版を視聴しても、それは原作MANGAに目を通し読んでいるのとは違います。ANIME版は原作そのまま忠実無比に作られるべきだと期待し主張するのは大人気ないと思います。(訳注1)
MANGAの原作があったとしても、ANIME版はANIME版で独立した創造物であり、制作スタッフは原作には関係していないことが多いのです。ANIMEと原作MANGAを比較してみるのは批評的観点としては有益ですが、ANIMEは原作MANGAの代行品ではなく、ましてやMANGAはANIMEと違って音声も動く映像もありません。
ANIME版が原作MANGAとは分岐して話が進むとして、そういうANIME版について改めて出来を論ずるのは変ではないと思います。なぜなら、物語として出来をANIME版はANIME版として分けて考える姿勢につながるからです。ANIMEのほうの巧いところや短所を述べる行為は映画批評の本質にあたります。
しかしながら、ANIMEオリジナルの内容を挿む理由やその出来についてはともかく、いちいちMANGAと比べてどうかと考えるのは感心しません。ANIMEのほうはそれで自立し独立した作品であり、それ独自での物語性や構造を抱えて当たり前ですし義務でもあります。原作素材と違っていても、それをもってして全否定したりおかしいと頭から決め付けたりするのは変です。それは単に異なっているのです。
ANIME版の話がいきなり別方向に向かい、それまでのペースや制作レベルが突然変わったりしたら、そのときは視聴者側が批判の声をあげても当然ですし、そういった変化が作品全体にとってどう影響するのかを論ずるのは当たり前です。
しかし、ANIME版がMANGAと違うと文句を言うのを公平な批評とは呼べません。ANIME版はけっしてMANGAそのものにはなれません。どんなに原作に忠実であっても、です。ANIMEとMANGAはまるで別種のメディアなのだから。
その後の物語展開にずっと影響するほどのオリジナル話(Filler)を挿むことの良し悪しは相対的な問題です。それ単体で完結していてMANGA原作準拠の本筋といっさい摩擦の起きないようなオリジナル話を挿めば、全体としては原作に忠実であり続けられるのはたしかです。その一方で、オリジナル話の出来事や新設定が物語全体にずっと関わってくる作りにすれば、作品全体のテンションが維持され骨組みもしっかりします。
映画批評という観点から言えば、一回きりの登場で後の物語展開にまったく何も影響してこないような話はそもそも無いに越したことはありません。ファンにはTVシリーズのどの回を観る・観ないかを自分で選ぶ権利があるとしても、物語の展開上非常に重要になる話を必要ないと否定するのはおかしいと思います。原作MANGAに沿っての話や展開なのかどうかは別として、物語全体のなかで大きい位置を占める話なのにその後の展開に何も関わってこなかったり再登場しなかったりするのは理屈の上でも感覚的にも変です。
本筋とは直接関わってこない一回きりのサイド・ストーリーをANIMEで複数挿んでも悪くないと思います。でも、ANIMEはANIMEで大きな物語展開が用意されるとしたら、作品全体の確かさを生み、維持するためにはANIMEオリジナルでも物語の今後に深く関わってくるのは当然です。そうなれば原作MANGAからの飛躍は増えるでしょう。しかし結局のところ、ANIMEは原作MANGAとはある程度逸脱するのが常なのです。
つまるところ、ANIMEは楽しめるよう作られるべきだと私は考えています。ANIME化とは原作MANGAに音響を加え色を付け動きをつけることではありません。ANIMEはMANGAに従属した存在ではなく対等に並ぶメディアであり、MANGAと対立することなく楽しめるはずです。
それが本来の姿だとすれば、ANIMEはANIMEで一貫した映画として成立する責任がある一方で、MANGA原作の忠実な家臣に徹する義務もないわけです。このことをANIMEファンは理解し受け入れるべきです。それができない方はANIME版を観なければよいのです。
ANIMEはそれで独立した作品であるとわきまえれば、それ単体での出来ばえで評価できるようになれるし、つなぎの話(filler)がどれだけ効果をあげているか、そして物語全体にどこまで溶け込んでいるのかを冷静に語れるようになるはずです。
Should Filler Storylines Affect Primary Anime Storylines?
訳注 だけど、例えば『エマ』第一期の最終回のアレはいくらなんでもナニではないだろうか。
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コメント
アニメでMANGA原作にない話を挟むのは、
時間稼ぎ/話の引き延ばしが主な理由だから総じてクオリティが低い。
オタから批判されるのは当然だと思う。
投稿: | 2007年5月10日 (木) 06時38分
NARUTOのオリストも滅茶苦茶評判悪かったぞ。
投稿: | 2007年5月10日 (木) 07時24分
あとで原作の話に戻さないといけないので作りこみがどうしても弱くなりますね。
投稿: お茶妖精 | 2007年5月10日 (木) 07時52分
でもドラゴンボールの悟空とピッコロが自動車教習所に通う話は面白かったんだ。
要はやり様だわさ。
投稿: 男爵 | 2007年5月10日 (木) 08時20分
まぁBLEACHのバウント編が面白くないのには同意。
種々の事情から原作に無い話をはさむことがあるのは
判るが、オリジナルの設定と違うんじゃないの?って
いうような話を延々と続けられるのはちょっとなぁ。
やっぱり脚本の問題じゃないの?
投稿: | 2007年5月10日 (木) 08時59分
まぁ原作者いなくなってるのにゾンビのように生き続けるアニメ作品よりはまだましかと。
それに良質のアニメを作ろうとしたって大概のアニメファンは金を出さないで口をだすからね。
どうしたって金と手間、原作者の協力が不可欠。
それに原作への気遣いは並大抵の事じゃない。
製作サイドはできる範囲で穴埋めストーリーを作りゃいい。
良質の穴埋め話つくろうなんて意欲のある奴はそんないないでしょ、実際。
投稿: | 2007年5月10日 (木) 09時45分
ONEPICEとかNARUTOとかBREACHみたいな一般層も取り込める人気作品は2クール交代でやればいいんじゃね。
俺は作品数が多少減ってでもクオリティを高めるべきだと思うね。
つーか、昨今は1クール内で放送されるアニメが多すぎだし。
まぁ、色々と複雑な事情があるだろうからそんなん無理なんだろうけどなw
投稿: | 2007年5月10日 (木) 10時38分
まあ原作MANGAそのものをANMEで作る事は不可能なので、変わっていても良いし普通。でも、あきらかに意味の無い展開や、時間稼ぎは見ていて不快ですね。
原作にないサイドストーリー的なものも好きですね。例えば、あるキャラクターの日常描写とか、過去とかね。それでも単なる時間稼ぎ的な内容の場合はうんざりだけど。
投稿: | 2007年5月10日 (木) 11時37分
しかし、アニメを作るのには
準備という物が必要なわけで。
漫画みたいに一人の人間が3日で
仕上げるというワケには行かない。
もう半年前ぐらいには制作に入らないと間に合わない。
BLEACHはアニメの
ソウルソサエティ編が終わる頃には、
次のアランカル編を制作してないと間に合わないけど
原作がまだ消化されてない状況では
バウント編をやらざるを得ないわけで。
まあ、確かにバウント編のキャラを
無理やり出さなくてもいいけどさ。
投稿: | 2007年5月10日 (木) 12時16分
漫画が終了していないのにアニメ開始するからだよ。
終わり良ければ全て良し。なのに往生際が悪い作品が多すぎる。
まあ企業としてみれば、作品のクオリティ<<<利益、なんだろうけど。
投稿: | 2007年5月10日 (木) 12時24分
>しかし、アニメを作るのには準備という物が必要なわけで。漫画みたいに一人の人間が3日で仕上げるというワケには行かない。もう半年前ぐらいには制作に入らないと間に合わない。
だったらやるなよ。だれも頼んでないよ。
投稿: | 2007年5月10日 (木) 12時59分
原作と違うアニメでのイイ例と言ったら「プラネテス」とか見てみるといいかもね。
原作もかなりのデキだったけど、アニメではそれを十分理解した上でさらに上を行く出来だったからねぇ。
個人的にはこういう良作がどんどん作られるとうれしいけど、さすがに難しいか・・・
思えば「カリオストロの城」だって、原作に忠実なルパンだったらあんなイイおじ様じゃねぇよなw
どんな形であれ良作を求むヨ。マジで。
投稿: | 2007年5月10日 (木) 17時16分
ただ単に能力不足でしょ、格別アニメ業界にいる人間が他に比べ優秀という訳ではないし
さっさと環境整備して良き人材が沢山入ってくる様に為ないとね
ジブリ作品程度が、日本アニメの頂点面している様だと文学と同じく腐りだす
投稿: | 2007年5月10日 (木) 17時17分
なんとなくジョンの「アニメに対する『原作漫画と違うから』という批判は絶対認められない」というかたくなさには、アニメから入った欧米オタらしさを感じます。
欧米のファンはだいたいアニメから入って、その背景の巨大なマンガ文化を知り始めたのは最近、ということになるんでしょうし。自分のオタク歴の中でアニメが100%、あるいは90%、80%等で、アニメはほとんど見てるから→日本のオタ業界のことに関してはほとんどなんでも知ってるよ、と思っている中、その数十から数百倍もの作品群のある巨大世界を知らないし体験していなかった……そんな考えへの抵抗感は、たぶん古株で自尊心の強いアニメオタクほど強いでしょうし。
「マンガが主、アニメは従」という見方には、見方のひとつとしても、抵抗感は排せないんじゃないかな。その逆には、それほどでもないかもしれませんが……。
投稿: | 2007年5月10日 (木) 17時33分
どう読んだら「頑な」に見えるのかな?
当たり前のことを言ってるだけにしか見えませんけど。
違うせいでつまらないものになったというのならともかく、違うというだけなら非難するに当たらないと。
確かに、アニメの背後の巨大な漫画文化etcは知らない、もしくは想像してても理解できてない人は多いようで、すぐに抜いた抜いたとか言いたがる人たちもいますけど(笑)Johnは「知らないことを知ってる」人だと思いますよ。推測や理屈だけでなく経験としても。
投稿: | 2007年5月10日 (木) 20時08分
内容と全然関係ないけど、シグルイってファンサブされるのかね。外人さんには難しすぎると思うんだが。
投稿: | 2007年5月10日 (木) 20時15分
>なんとなくジョンの「アニメに対する『原作漫画と違うから』という批判は絶対認められない」というかたくなさには、アニメから入った欧米オタらしさを感じます。~
激しく同意。これ向こうのいわゆる古株にすごく多い。
>どう読んだら「頑な」に見えるのかな?当たり前のことを言ってるだけにしか見えませんけど。違うせいでつまらないものになったというのならともかく、違うというだけなら非難するに当たらないと。
この質問に関する回答は無難で、頑ななものではないね。
>Johnは「知らないことを知ってる」人だと思いますよ。推測や理屈だけでなく経験としても。
それはあくまでも一般的常識としてね。アニメも知らなければある意味思い込みの無い回答になるあろうけど、この人ちょくちょく自信たっぷりにおかしな事書くからね。
投稿: | 2007年5月10日 (木) 20時47分
ブリーチにしろナルトにしろ原作者が完全監修するわけでもないしやっぱり現実的には厳しいね。
でも稀に原作を超えた名作・迷作たちが生まれるわけだしこれぐらいは我慢の範囲内かな。
原作に介入してオリジナル路線突入は漫画好きとしてはかんべんだけどw
投稿: | 2007年5月10日 (木) 21時20分
ジャンプ原作作品のアニメオリジナル話が駄作なのは伝統じゃん。
星矢のアスガルド編やドラゴンボールの一部短編みたいな例外もあるけど。
投稿: | 2007年5月10日 (木) 23時08分
まあバウンド編はつまらんかったので以降観てないけれど、気合い溜めを延々ととか世は大海賊時代!を毎回毎回とか総集編を何度も何度もとかよりはマシだよね。そこんとこは評価してあげたい。
投稿: | 2007年5月11日 (金) 02時29分
>だけど、例えば『エマ』第一期の最終回のアレはいくらなんでもナニではないだろうか。
第二期からしか見れてないんですが何か大変なことが起きたんですか?
(いえ、大変ってことではないんです。原作ではエマとウィルの二人はすれ違いのままお別れするんですが、アニメ第一期では顔合わせしてお別れします。あれではウィルが間抜けすぎませんか。これは公式サイトの第二期予告篇にも映像があるのでご確認ください。
あと、ちょっとずれたいちゃもんで恐縮なのですが、アニメで顔のアップは本当は良くないんです。おまけに森薫キャラって皆のっぺり顔ですよね。なのにアニメでは、例えば涙がエマの頬をつたうところを平気でどアップにしています。私には信じられない。 - CC)
投稿: | 2007年5月11日 (金) 11時52分
すみません、上で質問させていただいた者です。
>アニメで顔のアップは本当は良くないんです。
素人質問で申し訳ないんですが、何故アップは駄目なんでしょうか?ジブリアニメでも顔のアップくらいならあるんじゃないか?と思ってしまうんですが。まあ、どの程度のアップかにもよるんでしょうが。
よろしくお願いします。
(ええと、これは情報量の問題です。アニメで顔をアップにすると、画面中の線の総量がうんと減ってしまって、そのシーンだけ浮いてしまうことがあります。
エマの顔だって、マンガでもアニメでも本質は記号なんです。「あ」とか「こ」といった象形文字+フォントの延長にあります。そういう「あ」や「こ」をどアップにしても、映画としては何も発生しないわけです。
顔のアップは実写ではごく当たり前の技法ですが、アニメでそのまま同じことをすると不自然です。不自然に感じないという方は、そういう技法をすでにアニメのお約束として会得しているからです。
随分前に、おすぎがある大作アニメ映画を3本続けて評していました。「顔のアップをされても、もとが絵だから何がなんだか分からない」という発言があって、面白いなーと思いました。
そういえばジブリでも止め絵の顔アップはよくありますね。でもよーく見ると、いきなり顔アップではなく、ゆっくりと顔が画面の中で大きくなるように演出されているはずです。アップになっていく工程に情報があるのでしょう。
例えば実写の演出経験も豊富な押井守監督はアニメでの顔アップは嫌がります。でも、このあたりは演出家によって考えが違うようです。 - CC)
投稿: | 2007年5月11日 (金) 14時04分
アニメで一秒に満たないシーンを原作では見開きつかって連発してるんだからしょうがないわな
投稿: | 2007年5月11日 (金) 19時25分
逆に日本ではタートルズのOPが邦楽に替えられていたが、
コレに対して米の人はアートが商業主義に汚されたと
思うもんなのかな。
投稿: | 2007年5月13日 (日) 02時49分
>「知らないことを知ってる」人だと思いますよ。
ネイティブとして生まれ育ってその環境に囲まれていない以上、すべてについては無理な話です。無論例えば私たちがアメリカ文化に対しても当然同じで。(同じ、もしくはそれ以上)
最近は、最初から漫画を経験した若い層が生まれてるんですよね。例えば「デスノート」、あれを最初から原作漫画で読んでて、それが後にアニメ化され、アニメ版を視聴することになるという、まったく日本のファンと同じ過程を経験する層。そういう層が漫画アニメ化作品にどういう反応を示すのか、古株のアニオタたちと同じ反応を示すのか、ちょっと面白く思います。
「攻殻機動隊」を観て関心を持ち、「この作品の義体や電脳化世界などの凄い着想はどうやって思いついたのか」と”押井守に”聞きに行って満足してしまう立花隆のような、ちょい残念なズレっぷりも、すこしは少なくなっていくんではないかと……。
投稿: | 2007年5月13日 (日) 05時17分
NHKのアレ?アレは酷かった。
押井氏は「あー、今回オレはそういう扱いなのね」で
相手してたけど。
立花氏の背景文脈無視っぷりにひくよなァ。
押井に聞くなとは言わんけど、せめて
サイバネ研究→SF、特にサイバーパンク
→マンガ原作(しかも既にサイバーパンクは古いと士郎コメント)
→押井アニメ化(借り物だが都市論つき)
は押さえないと意味ないだろうに。
投稿: | 2007年5月31日 (木) 09時03分